教育を考える 2019.10.3

心が折れて立ち上がれなくなってしまう、自信家なのに自己肯定感が低い人

心が折れて立ち上がれなくなってしまう、自信家なのに自己肯定感が低い人

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「自己肯定感」という言葉が生まれたのは1994年。臨床心理学者の高垣忠一郎氏が提唱したものです。以降、とくにここ10年くらいのあいだに、自己肯定感という言葉は急激に浸透してきました。そもそも、自己肯定感の重要性はどんなところにあるのでしょうか。教育ジャーナリストのおおたとしまささんに、子どもの自己肯定感の伸ばし方と併せて教えてもらいました。

構成/岩川悟 取材・文/清家茂樹 写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)

持っている自信のちがいが自己肯定感の高低を生む

「自己肯定感」のベースにあるのは「自信」です。ただ、その自信のちがいによっては、自己肯定感が高くもなれば低くもなります。

自己肯定感が高い人間というのは、無条件に自分を認めている人間を指します。「僕は○○ができるからすごいんだ」と思っているわけではありません。「自分は自分なんだから、自分のままでいい」と思っているわけです。となると、そのベースにあるのは、いわば「根拠のない自信」といえるでしょう。

一方、自己肯定感が低い人間はどうかというと、自己肯定感が高い人間とちがって、「僕は○○ができるからすごいんだ」と思っている。つまり、そのベースにあるのは、自己肯定感が高い人間とは対照的に「根拠のある自信」となります。

では、この自己肯定感の高低が人間性にどんなちがいを与えるのでしょうか。自己肯定感が高い人間の場合、根拠のない自信から「自分は自分のままでいい」と思っているのですから、「他人も他人のままでいい」と思うことができる。もちろん、他人とのあいだに意見のちがいなどはあって当然です。でも、それすらも含めて他者の存在自体を認め、尊重することができるのです。

自信家なのに自己肯定感が低い人2

逆に自己肯定感が低い人間の場合は、自分のベースにあるのは「○○ができる」「○○を持っている」といった根拠のある自信ですから、自分と比べて「○○ができない」「○○を持っていない」という他人を認めようとはしません。わざわざあら探しをして優劣をつけ、他人にダメ出しをしてしまう。そうなると、他者との良好な人間関係を築くことは難しくなるでしょう。このタイプの人間は、社会的弱者に対して自己責任論を振りかざす人たちのなかにも多いように思います。

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「自信家でありながら自己肯定感が低い人」という存在

「自己肯定感が高い人」というと、自分に自信がある「自信家」をイメージするかも知れません。でも、そうとは限らないわけです。持っている自信の種類が「根拠のある自信」だけという場合、「自信家でありながら自己肯定感が低い人」になり得るのです。

そういう人間を生むひとつの要因として、親が子どもに対して過度の勉強を強いる「教育虐待」が考えられます。教育虐待を受けて育った子どもが、親の無茶な期待になんとか応え、受験でも就活でも出世レースでも勝ち進んできたとしましょう。でも、教育虐待とは教育という名のもとに行う人権侵害です(第2回インタビュー参照)。ひとりの人間として認められないまま育った人間が、自己肯定感を持てているはずもありません。

だけど、受験でも就活でも出世レースでも「結果」だけは出してきたことによって、「自分はすごい」と自信を持って生きてきた。その人間にとっては「結果がすべて」です。すると、たったひとつのつまずきによって「結果」を出せないということが起こると、大人になってからでも、ぽっきりと心が折れて立ち上がれなくなってしまうということもあり得るのです。

自信家なのに自己肯定感が低い人3

このことにも通じることですが、自己肯定感の高低は、「チャレンジ精神」にも大きな影響を及ぼすと考えられます。自己肯定感が高い人間は、どんな失敗をしても「無条件に認めている自分の核の部分」は損なわれることがない、絶対に変わらないという「安心感」を持っています。だからこそ、さまざまなチャレンジをすることができますし、たとえその結果が失敗に終わったとしても「なんとかなるさ」とへこたれずに再び立ち上がることができます。

一方で自己肯定感が低い人間には「僕は○○ができる」という根拠のある自信しかありませんから、「○○ができない」ということを極端に怖がることになる。安心感とは正反対に、なにかに失敗したら自分の価値が無になってしまうような「恐怖感」を持っているために、心の支えである「僕は○○ができる」という「いま、あるもの」を高める方向ではなく維持する方向に意識が働きます。そうすると、どうしてもチャレンジを怖がるということになるのです。

子どもの行為のプロセス、発想そのものを「認める」

もちろん、親としては考えるまでもなく子どもには自己肯定感が高い人間に育ってほしいと思うはずです。では、子どもの自己肯定感を高めるために、親はどうすべきなのでしょうか。その答えは、先の教育虐待のケースとは逆に、「子どもの人権を認める」ことに尽きます。

ただ、それだとちょっと抽象的かもしれませんね。もう少し具体的にいえば、とにかく「子どもの言葉をばかにしないで真面目に聞く」ということです。子どもは子どもっぽくてあたりまえです。大人からすればどんなに子どもっぽくてばからしいことに聞こえたとしても、子どもの言葉をきちんと聞いて「へえ、そんなことを考えたんだね」というふうに答えてあげるのです。

それは、「褒める」ということではなく、「認める」ということです。いま、教育界では「褒めて伸ばす」ことがいいと盛んにいわれています。もちろん、本当に褒められるところは褒めるべきでしょう。ただ、なにかの結果を出したときばかりに褒め続けるようなことがあれば、「結果を出したから自分はすごい」と子どもに思わせることになる。それこそ「根拠のある自信」を植えつけ、逆に子どもの自己肯定感を下げることになりかねません。

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そうではなく、子どもの行為のプロセスそのものを認める、あるいは子どもの言葉に対して「面白いところに気づいたね」と発想そのものを認めるのです。そうすれば、自分の内から湧き上がってくるものを子ども自身が認められるようになる。それが、最終的には子どもに「根拠のない自信」を与え、自己肯定感を高めることにつながるのではないでしょうか。

アイコンタクトだけでも子どもを「認める」ことができる

また、子どもを「認める」際には、必ずしも言葉はいりません。大切なのは子どものサインを見逃さないこと。幼児であれ思春期の子どもであれ、「いま、僕頑張ったよ。見てた?」とか「やった! わたし、すごいでしょ?」という意味で、親をチラッと見ることがありますよね? そのときに「うん、見てたよ」「すごいじゃん!」とアイコンタクトを返すだけでもいいのです。そういう場面でこそ「いいね!」をするんです。SNSで社交辞令的な「いいね!」なんてしている場合じゃありません。

それだけで子どもは勇気づけられ、励まされます。「お父さん、お母さんはちゃんと自分のことを見ていてくれる」と安心します。逆に、そういうサインを何度も立て続けに見逃すと、子どもはだんだんとやる気を失っていきます。「どうせ……」が口癖になっていくのです。

わたしは、親が子どものためにあれこれ手を出したり口を出したりするのは最低限にとどめるべきだと思っています。でも、子どもに背を向けてなにもしないほうがいいといっているわけではありません。子どもが「いま、見てた?」とこちらを見たときにはそれに気づいてあげることができて、目の動きひとつでいいので「見てたよ!」と答えてあげてほしいのです。そんな親になれれば、余計な心配などしなくても、子どもは勝手にぐんぐん伸びていくはずです。

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ルポ 教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち
おおたとしまさ 著/ディスカヴァー・トゥエンティワン(2019)
ルポ 教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち

■ 教育ジャーナリスト・おおたとしまささん インタビュー一覧
第1回:教育虐待をする親とその学歴。その教育、本当に子どものためですか?
第2回:教育虐待は教育という大義名分のもとで行う人権侵害。でも親の多くは無自覚である
第3回:失敗経験から学ぶ、学力とは異なる力がものをいう時代。受験勉強で「失うもの」とは?
第4回:心が折れて立ち上がれなくなってしまう、自信家なのに自己肯定感が低い人

【プロフィール】
おおたとしまさ
1973年10月14日生まれ、東京都出身。教育ジャーナリスト。麻布中学校・高等学校卒業、東京外国語大学英米語学科中退、上智大学外国語学部英語学科卒業。株式会社リクルートを経て独立し、数々の育児誌、教育誌の編集に関わる。心理カウンセラーの資格、中学高校の教員免許を持っており、私立小学校での教員経験もある。現在は、育児、教育、夫婦のパートナーシップ等に関する書籍やコラム執筆、講演活動などで幅広く活躍する。著書は『世界7大教育法に学ぶ才能あふれる子の育て方 最高の教科書』(大和書房)、『いま、ここで輝く。超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』(エッセンシャル出版社)、『中学受験「必笑法」』(中央公論出版社)、『受験と進学の新常識 いま変わりつつある12の現実』(新潮社)、『名門校とは何か? 人生を変える学舎の条件』(朝日新聞出版)、『ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』(幻冬舎)など50冊を超える。

【ライタープロフィール】
清家茂樹(せいけ・しげき)
1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。