教育を考える 2018.5.23

【Education Now 最終回】子どもの可能性は偉大なり ~無限の可能性を秘めている子どもたち~

吉本智子
【Education Now 最終回】子どもの可能性は偉大なり ~無限の可能性を秘めている子どもたち~

小学校教諭を退職して海外暮らしになると、今まで教師側目線中心だった私は、保護者目線で考える機会が増えました。教えている子どもについても通っている学校が、インターナショナルスクール・日本人学校・現地の学校とそれぞれ様子も異なり、子どもたちからもたくさんの「気づき」を得ることができました。

最終回となる第7回は、現役教諭時代・海外生活を含めて気づいた子どもの様子について、お話しようと思います。

子どもの目のつけどころが凄い!!~ひし形のはなし~

小学校4年生の算数で登場する『図形』の学習を行うときに、私は「ひし形見つけ」を毎回行っています。

日常生活の中でありそうでなかなか見つからない「ひし形」を、子どもたちは一生懸命探していました。ひし形といえば、皆さんはどんな形を思い浮かべますか? この課題を課した最初の頃、私はトランプのダイヤモンドぐらいしか思いつきませんでしたが、子どもたちは、ひし形の形をしたものをたくさん見つけてくれました。

今ではインターネットで検索すれば、簡単に出てくるかもしれませんが、なるべく自分で考えてみよう! と声をかけると、学校内は勿論のこと、家の中や帰り道など、子どもたちはありとあらゆるところを必死になって探していました。すると……ひし餅、鉛筆や車についているマーク、そろばん、お父さんのベスト(アーガイル模様)、ブラジルの国旗の黄色い部分、マヨネーズ会社の背景模様と、日常生活で目に触れる様々なものからひし形を見つけてくれました。

一番感心したのは、道路に描かれている「この先横断歩道がありますよ」ということを示してくれるマークを見つけてきたことです。車を運転する大人の私は気づかなかったものの、運転をしない子どもが発見し、改めて子どもの鋭い観察力に驚かされました。

子どもの知的好奇心を育てる3つのポイント
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「先生見て! 見つけたよ!」認めてほしい子どもたち

ひし形見つけは、日本でも海外でも機会があるたびに、何度か子どもたちに尋ねているのですが、その中でも一番目を輝かせて探していたのは、クラス運営が一番難しかった子どもたちを受け持ったときでした

ひし形を見つけたときの子どもたちの表情や、「先生見て!」という必死な様子は今でも覚えています。「子どもっていつも認めてほしいんだな。大人はここを見逃してはいけないんだ」と思いました。

忘れられない学級通信「ダイヤモンド」

担任を持ったとき、最初に行う宿題のひとつとして、「学級通信」の題名を考えてくる、というものを出していました。子どもたちの発想はとても豊かで、私が考えつかないような題名がいくつもありました。

その中でも、私の記憶に一番残っているのは「ダイヤモンド」というタイトルの学級通信です。このタイトルを付けた理由は「まだ原石のような私たちだけど、お互いに切磋琢磨して磨きあって最後(卒業する頃)はダイヤモンドのように輝く。」というものでした。

小学生ながら周りの友達やこれから先のことまでよく考え、教師のハンドブックにも載ってないような素敵なタイトルは今も気に入っています。子どもの発想力はすごいなぁと思いました。

海外の教育事情と日本の教育文化最終回

仲間の存在は大きな強み

現在私は海外で日本の学習をする子どもたちを指導していますが、「仲間の強み」というものをあらゆる面で感じています。

最近では、ハーフの子の日本語レッスンにおいてそう感じました。彼らは日本語の勉強は継続しているものの、学年が上がるにつれインター(本業)の学習が忙しくなってくるので、日本語を学ぶモチベーションをどう保つか悩んでいるようでした。日本語も漢字など覚える量が増え、日本語の内容も難しくなってくるので、英語と並行して学習することは、並大抵のことではありません。

そんなとき、グループでレッスンをしている子は、「仲間の存在」が日本語学習を頑張る糧になっていると保護者の方が話してくださいました。「同じように頑張っている友達がいる」ということで、負けられない存在、励みになる存在として、切磋琢磨しながら共に頑張っているようです。

「1人だったらくじけそうだけど、仲間がいるから頑張ることができる」という体験は、他の子どもたちの中でも起こっています。

クラスを動かすのは教師でなく子どもたち

私が日本で小学校教諭をしていたときも、不登校の子が学校に来るよう迎えに行ったり、クラスの雰囲気がよくない方向に向かっているときに声かけをしてくれたり、クラスがピンチな状況になりそうなときに救ってくれたのは、いつも子どもたちでした。

教師の私が延々と諭すよりも、子どもたち同士話し合うことで「気づき」が生まれたり、お互いに理解を深めたり、クラスを作っていくのは、子どもたち自身なのだと改めて感じました

時代は変わっても子ども本来の姿は変わらない!

先日、私が新人教師の頃にお世話になった退職された先生に会う機会がありました。海外で暮らす私は、帰国のたびに元同僚に会って今の日本の学校の様子を伺っているのですが、先輩の先生から、「子どもが本来持っているものは今も昔も変わっていないのよ」という言葉を聞くことができ、なんだか少し安心しました

時代とともに子どもたちをとりまく環境や生活の様子は変化していますが、海外や日本で出会った子たちの、物事に一生懸命取り組む姿、何かを発見したときの目の輝きや何かに対して感動する純粋な心は今も変わらず存在し、子どもたちは無限の可能性を秘めているのです

これからの未来、教え子たちがどんな活躍をしていくのか私の人生の楽しみでもあり、同時に彼らに負けないような生き方を私もしていかなければならないと思っています。