からだを動かす/体操 2018.8.7

【わたしを救った「反省ノート」と「未来ノート」の存在】~元オリンピック新体操日本代表・畠山愛理さんが教える「挫折の乗り越え方」~

【わたしを救った「反省ノート」と「未来ノート」の存在】~元オリンピック新体操日本代表・畠山愛理さんが教える「挫折の乗り越え方」~

人生に挫折はつきものです。挫折を経験するからこそ人は成長し、大きな夢をつかむことができるのです。しかし、まだ自分の考え方が固まっていない子どもたちは、些細な失敗にも大きく傷ついてしまいがち。小さなうちに訪れる挫折を乗り越えるには、どうすればいいのでしょうか。学生時代に一度は新体操を辞めることを考えながらも、オリンピックに2度も出場した経験を持つ畠山愛理さんに聞いてみました。

構成/岩川悟 取材・文/大住奈保子(Tokyo Edit) 写真/玉井美世子

新体操に没頭して勝ち取った栄光と、はじめての挫折

「こんな綺麗なスポーツがあるんだと、幼心に衝撃を受けました」

小学校1年生ではじめて新体操に触れたときのことを、こう振り返る畠山さん。「美しいリボンにもっと触りたい」「曲に合わせて踊ってみたい」という気持ちも、同時に芽生えていました。その後、本格的に練習を開始すると、持ち前の身体能力と表現力をいかんなく発揮。小学生の全国大会に出場し、12歳で6位入賞を果たします。

「結果としての上位入賞よりも、会場にいる大勢の人たちが演技を見てくれているということが、本当にうれしかったですね。わたしはとにかく、自分の踊りをたくさんの人に見てもらうことが好きで、そのためにずっとがんばってきましたから」

畠山さんに「オリンピック出場」という夢ができたのは、このときでした。日本で上位にいけたから次は世界で戦いたい。早くもそんな気持ちになっていたと言います。

「もちろん試合前はすごく緊張しましたよ。それこそ、レオタードの上から心臓がバクバクしているのが見えそうなくらいに(笑)。そんなとき、先生や両親が『うまく見せようとしなくていいから、楽しんできなさい』と言ってくれたんです。おかげで、緊張のなかで踊るのも楽しいと思えていました」

最終的にはオリンピックに2度出場するなど、その実績だけを見れば順風満帆にも思える畠山さんの新体操人生。しかし中学校のころには新体操を続けるのが辛くなり、「辞めたい」と思い悩んだ時期もありました。

「中学2年生のときに、はじめてケガをしたんです。腰の痛みから足はしびれ、ドクターストップがかかるような状態でした。直後の関東大会はなんとか出場しましたが、演技中に傷口が痛んで途中棄権……。そのあとにあった全日本大会には出場できませんでした。そのケガの影響で、中学3年生の1年間は自主練のような状況が続きました。練習に行っても先生に見てもらえないし、ときにはまわりから冷たい言葉をかけられることもありましたね。ついには練習場のドアを開けようとすると、気分が悪くなるまでになってしまった。あんなに好きだった新体操が、まったく好きだと思えなくなりました」

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「受け入れられている」という安心感が挫折を乗り越えさせる

心身ともに追い込まれてしまった畠山さん。しかし、新体操を続けたきっかけは、当時の保健室の先生や母親がかけてくれた言葉でした。

「『苦しくて仕方ない。わたしもう、新体操を辞めたい』と保健室で号泣したんです。するとその先生は『辞めるのは止めないよ。でも、あんなに好きだった新体操を嫌いになったままやめていいの?』と。そして、『今度の全日本大会は自分のためだけに出ればいい』と言ってくださったんです。このひと言にはとても救われました。母がわたしの気持ちを否定せずにいてくれたことも大きかったです。わたしが辛くて泣いていたら、隣で母も泣いているんです。『愛理が苦しいと、お母さんも苦しいよ』って。母も一緒に戦ってくれているんだと思うと、どんどん力がわいてきました」

畠山さんが「新体操をやめたい」と言っても、けっして止めなかったという母親の存在。「愛理がやめたいならそれでいいよ」と、いつも優しく受け入れてくださったそうです。

「当時は反抗期だったので、もし『なに言ってんのよ。辞めるなんてダメよ』と言われていたら、新体操を辞めていたと思います。母はむかしからずっと、わたしの気持ちを大事にしてくれる人でした。もしちがう教育方針だったら、わたしは新体操をやり抜けていなかったでしょうね」

新体操への熱意を取り戻した畠山さんは、その後、日本代表チームであるフェアリージャパンに入り、世界の舞台へと進みます。毎日8~10時間、休日は週1回という厳しい練習をこなし、2012年、17歳のときにロンドンオリンピックに出場し団体7位という結果を残します。

「プレッシャーはそれほどなかったですね。演技終了後は、『もう終わっちゃったんだ』という感じでした。もちろん緊張はしましたが、人生のうちでこれほど緊張することなんて、そうそうありませんよね。そう思うと『楽しもう』という気持ちになれました。わたしはすごくまわりの目を気にしちゃうタイプ。『うまく見せなきゃ』と思っていたし、日本代表に選ばれたときも『なんであの子が』と思われてるんじゃないかって不安でした。でもいま思えば、そうやって自分で自分を苦しめていたんです。あるとき、そんな気持ちでいると後々自分が苦しくなるだけだと気づきました。そこから気持ちが変わって、いまできるベストを尽くす、いまの自分を見てもらうことが一番いいと思うようになってからは、のびのびと演技できるようになりました」

とはいえ、まわりの目を気にする性格は悪いことばかりではありませんでした。たくさんの人に見られるオリンピックという舞台では、人からの評価の意識が演技の質を上げてくれたからです。

「そういう性格だったからこそ、『誰もが納得するような演技をしたい』という気持ちは人一倍大きいものでした。オリンピックに出場することが決まってからは、なおさらその思いに拍車がかかりましたね。いい演技をするためには練習を惜しみませんでしたし、まわりの友だちが遊んでいても気になりませんでした」

ロンドンオリンピックが終わるとすぐに、『次のオリンピックにも出たい』という気持ちに。帰国すると、次の目標であるリオオリンピックに向けて、すぐに練習を再開します。ロンドンではチーム最年少だった畠山さんですが、リオでは年長組になります。立場の変化による難しさを実感しはじめたのも、このころからでした。

「チームの一員として自分にはなにができるかを、いつも考えていました。わたしだけでなく、チーム全員がそういう意識を持っていたと思います」

奇しくもリオオリンピックの半年前の世界選手権で、42年ぶりの銅メダルを獲得。世間の目は一気に「新体操はオリンピックでもメダルを狙えるのではないか?」というものに変わっていくことに。

「世間の期待を意識していなかったというと、ウソになります。ただ、わたしたちのなかでは、いまある力を出し切ろうという気持ちのほうが強かった。大舞台だからこそ楽しんで、のびのびと演技をするのが大事だと思うし、それが結果にもつながるはずです。子どもたちに新体操を教えるときも、そう伝えています」

挫折の乗り越え方2
※オリンピックの大舞台でも「楽しむ」ということを大切にして、自分のベストを出し切ったという畠山さん

失敗がマイナスになることなんてない

大きな挫折を乗り越えて、幼いころからの夢をつかんだ畠山さん。しかし、大多数の人は、成長とともに子どものころの夢を忘れてしまいます。小さなころから夢を持ち続け、それに着実に近づいていくにはどうすればいいのでしょうか

「わたしは『反省ノート』『未来ノート』というのを続けていましたね。『反省ノート』はその日あったことや練習の内容を振り返って、気持ちを書いておくものです。小学校から中学校卒業まで毎日書いて先生に提出していました。最初のページには、『畠山愛理はオリンピックに出るぞ!』と、大きく書いて、何度も見返していました(笑)。そして、『未来ノート』は『こうだったらいいな』という未来の姿を書くものです。『オリンピックではこんな演技をして〇位に入れた』みたいなことを、事前に書いておくんです。そうすると、実現することが多かったですね」

書き残すということで言えば、小学校のときに書いた卒業文集も、畠山さんにとっては大事なものでした。

「『わたしは将来オリンピックに出ます』という言葉とともに、新体操が好きだという気持ちがびっしり書いてあるんです。『どんなことがあっても、わたしは夢に向かって走り続ける』と締めくくられていました。自分で書いた文章なのに、見返すたびに『わたし、こんなに新体操が好きだったんだ』と、あらためて気づかされました。ケガをしたときも、それを読むことで忘れかけていた夢を思い出せました」

リオオリンピックの結果は、8位入賞。メダルには惜しくも届きませんでした。

「リオではミスもありましたが、後悔は不思議となかったんです。毎日全力で練習をやりきったという自負があったから、『いまの自分の実力は出せた』と納得できました」

その後現役引退を発表し、いまではスポーツコメンテーター、モデルと活動の幅を広げる畠山さん。現役時代とはまたちがった分野への挑戦で、毎日が新鮮だと言います。

「新体操をやめたら、また小学1年生の自分に戻ったような気がしました。これからゼロに戻ったから、これからまたいろいろなチャレンジをして経験を積んでいこう。そんな気持ちでいます。もちろん、新たな挑戦をすると失敗することもあります。でも、失敗したほうが、学びも多いと思っています。『成功しなきゃ』と気負う必要はありません。失敗は絶対にマイナスにはならないから。大人も子どもも、勇気を出していろんなことに挑戦してたくさん失敗して、それを活かしていければいいのではないでしょうか」

夢にたどりつくまでには、たくさんの壁があります。それを乗り越えるのに必要なのは、どんな選択をしても、親やまわりの大人が味方でいてくれるという安心感。それがあれば、子どもは失敗を恐れず挑戦し、プレッシャーをも楽しめるようになります。子どもが道を見失わないよう、節目節目で夢を思い出せるようなサポートをするのも大事なのかもしれません。そして、毎日の自分や未来の自分を文字として書き残しておくこと。そういった習慣がとても大事なことだと思わせられる、畠山さんの言葉でした。

■ 元オリンピック新体操日本代表・畠山愛理さん インタビュー一覧
第1回:【新体操は身体を柔軟にして表情を豊かにする】~習い事としての新体操のメリット
第2回:【これからの時代に必要なのは、共感を伴う自己表現力】~表現力の高め方
第3回:【子どもの才能は「好き」のなかにある】
第4回:【わたしを救った「反省ノート」と「未来ノート」の存在】~挫折の乗り越え方

【プロフィール】
畠山 愛理(はたけやま・あいり)
1994年8月16日、東京都出身。6歳から新体操をはじめ、2009年12月中学3年生のときに日本代表であるフェアリージャパンオーディションに合格し、初めて新体操日本ナショナル選抜団体チーム入りを果たす。2012年、17歳で自身初となるロンドンオリンピックに団体で出場し7位入賞に貢献。その後、日本女子体育大学に進学し、2015年の世界新体操選手権では、団体種目別リボンで日本にとって40年ぶりとなる銅メダルを獲得。2016年のリオデジャネイロオリンピックにも団体で出場し、8位入賞。リオデジャネイロオリンピック終了後に現役引退を発表する。 また、2015年に開催されたミス日本コンテストにおいて、大会への応募に関わらず、美と健康の素晴らしい資質を持った女性のさらなる活躍を応援するという特別栄誉賞「和田静郎特別顕彰ミス日本」を受賞した。現在は、新体操の指導、講演、メディア出演などで活躍中。また、これまでの経験を活かしイベントなどでダンスを踊ることも。新体操の魅力を伝えるため、日々奮闘中。2018年、NHK『サンデースポーツ2020』のリポーターに就任。またBS-ジャパン『バカリズムの30分ワンカット紀行』のアシスタントとしてバラエティーにも挑戦している。

【ライタープロフィール】
大住 奈保子(おおすみ・なほこ)
編集者・ライター。金融・経済系を中心に、Webサイト・書籍・パンフレットなどのコンテンツ制作を手がける株式会社Tokyo Editの代表を務める。プライベートでは、お菓子づくりと着物散策、猫が好きな30代。
これまでの経歴は、http://www.lancers.jp/magazine/29298から。
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