あたまを使う/英語 2018.8.3

英語はだれでも身につけることができるのか? 成功する英語学習の3つの条件

田中茂範
英語はだれでも身につけることができるのか? 成功する英語学習の3つの条件

前回は、英語はできて当たり前という状況が現実化したものの、日本では英語が苦手と感じている生徒が多いということを指摘しました。ただ、苦手だからといって英語は不必要かといえば、できたらうれしいという生徒が多いことも事実です。そこで、英語は誰でも身につけることができるのか、という問いが出てきます。

英語は誰でも身につけることができるのか?

結論を先にいうと、基本的に英語はだれでも身につけることができるようになります。音楽や美術には才能といったものが関係しており、個人差が多くみられると思います。しかし、言語の場合はどうでしょうか。母語であれば、だれでも自然に身につけることができます。それは母語の話で、外国語になると事情が違うのでは、と思われるでしょう。

しかし、回りを見渡してみてください。外国出身の相撲力士たちは日本語が上手だと思いませんか。テレビなどを見ていても、外国出身のタレントが流暢な日本語でお茶の間を楽しませてくれています。彼らは日本語を学ぶ特別の才能があるから日本語ができるのでしょうか。そうとは思いません。必要があるから、日本語を使い、日本語が上達したのだと思います。

僕は、長らく、JICA(国際協力機構)に関係してきました。ご存知のように、青年協力隊だけでなく「シニアボランティア」という人たちの活躍に、日本の国際協力事業は支えられています。シニアといえば50代後半、60代の方々も多数います。赴任先がバングラディッシュの場合はベンガル語を、スリランカの場合はシンハラ語を学びます。

60歳になって全く未知の言語を身につけることができるのか、と思われるかもしれません。しかし、驚くことに、ほとんどのシニアの隊員たちは、任国の言語を習得し、文字と声の両方で機能的なやりとりができるようになります。JICAの事例は、必要があれば、年齢に関係なく外国語を学ぶことができるということの証です。

英語学習を成功させるための3つの条件

では、学校で英語を勉強していても英語力が育たないというのはどうしてか、という疑問がわくと思います。もちろん、だれでもやれば英語はできるようになる一方で、どう学ぶかが肝心です。英語学習が成功する条件は3つあります。

1. Language Exposure(英語にふれること)の質量
2. Language Use(英語を使うこと)の質量
3. Urgent Need(英語を使わなければならない必要性)の存在

Language Exposure とは「英語にふれること」、すなわち英語のインプットです。そして、Language Useとは「英語を使うこと」、すなわち、アウトプットです。このインプットとアウトプットの十分な質量が満たされるかどうかが、英語力を身につけることができるかどうかの鍵です。

毎日、英語にふれる環境にあれば、量的な条件は充足されます。そのためには、学校で経験する英語の量だけでは十分ではなく、英語を日常のなかでもふれる機会を設ける必要があります。アウトプットの場合は、使う機会があるかどうかということです。そして、インプットもアウトプットも、質の条件を考慮する必要があります。学習者一人一人にとって意味があり、自分事として受け止めることができる場合に、質の条件は満たされます。

そして、日本でなかなか満たすことができない条件が、Urgent Need です。直訳すれば「切迫した必要性」ということですが、要は、「英語を使わなければならない必要性」ということです。日本人同士であれば、英語を使う必要性はありません。しかし、この Urgent Need があるからこそ、上記の外国出身の相撲力士もタレントも日本語を身につけることができたのだし、JICAのシニアボランティアの人たちも現地語を学ぶことができたのだといえます。

「いつか、どこかで、だれかと」ではなく「今、ここで」

であれば、Language Exposure (英語にふれること)と Language Use (英語を使うこと)の質量、そして Urgent Need(英語を使わなければならない必要性)の存在の条件を満たすような英語学習環境を作り出すことができれば、英語学習は成功するということになります。

しかし、いくら環境が整っても、学習者自身が自分事として取り組むことができなければ、英語学習の成功は保証されません。ここで身につけたい力は英語力です。英語が使える力ということです。英語力を身につけるためには英語を使うしかありません。このことを Learning by Doing といいます。

しかし、多くの学習者の心理としては、まず、英語を勉強して、ある段階まできたら、使うというものです。言い方を変えれば、「いつか、どこかで、だれかと」英語で話をするために、英語を学習するという発想です。この発想には匿名性があるため、上でいう Urgent Need(英語を使わなければならない必要性)は生まれません。英語は憧れの言語で、「できるようになったらいいな」という思いを抱いて、勉強を続けることになります。

これは Learning by Doing の原理に反するやり方です。「いつか、どこか」ではなく、「今、ここ」が肝心なのです。今、ここで、英語を使うということは、学習者の身分から表現者の身分になるということを意味します。

子どもは初めから表現者! 学習者であると同時に表現者であれ

子どもは英語を使いながら自然に英語力を身につけていきます。子どもは、初めから表現者なのです。中高生になると、外国語は foreign language というように、自分と馴染みのない言語です。foreign objects といえば「異物」ということです。そこで、英語を使って何かを言おうとしても「自分らしくない」という思いから逃れられないのです。

しかし、この異物感を馴染ませていくには、使うしかありません。幼い子どもは表現者として自然に英語を身につけます。ある年齢になると、学習者であると同時に表現者としての2重の役割を演じることが必要となります。学習者としては、絶えず、自らの英語を発達させていく態度で、そして表現者としては、今ある英語を我が身に引き受けて、それで何とかするという覚悟で臨むことが必要です。

学習者である限り、まだ足りないという気持ちから逃れることができません。しかし、まだ足りないから、自分の英語は不完全であるという思いに駆られてしまえば、表現者として英語を使う気持ちをくじかれてしまいます。限られた英語で表現することを楽しむぐらいの気持ちをもつことで、健全な learning by doing の実践が行えるのだといえます。