あたまを使う/教育を考える/本・絵本/英語 2018.6.14

英語をただ学ぶだけでは身につかない? 英文学から得られる文化的な読解力「文化リテラシー」

吉野亜矢子
英語をただ学ぶだけでは身につかない? 英文学から得られる文化的な読解力「文化リテラシー」

先週のことです。イギリスのセカンダリースクールに通っている長男が、学校から帰ってくるなり質問をしました。

お母さん、僕が3歳ぐらいのころ、ご飯の時、お水を欲しがるたびに、サミュエル・テーラー・コールリッジ(18世紀末から19世紀頭のイギリスのロマン派詩人)を引用してなかった?

そういえば、確かに “Water, water, everywhere”と言いながらコップを手渡していたような気がします。有名な詩の一節で、アホウドリを殺してしまったせいで呪われた水夫が、飲み水がないことを嘆く場面です。“nor any drop to drink”と続きます。周囲が海水ばかりで、喉がかわいているのに一滴も口にできないのです。

あらあら、お水がないのね、と、確かに冗談交じりに口にしていたのかもしれません。小さな子供は一度ですまずに、「おみず、おみず、おみず! (Water! Water! Water!)」と繰り返しますから、はいはい、わかりましたよ、というようなことだったのだと思います。そのうちに、そういえば、子供自身も繰り返していましたっけ。

今日、学校の授業で扱ったよ。なんでこんな昔の詩なのに意味がわかりやすいんだろうって不思議に思ったら、耳にしたことがあったの、思い出したんだ。

おやおや。東京で子育てをしている時には、どうやって子供に日本の文化と英語圏の文化の両方を与えることができるのか試行錯誤していたのですが、どうやら部分的には成功していたようです。

文化リテラシーー文化を越境する子供たちーー

自己紹介が遅れました。吉野亜矢子ともうします。ケンブリッジ大学で英文学博士号を取得した後、早稲田大学の教育学部で英文学を教えていました。これから英語の先生になる資格をとる若い人たちに英文学を教えていた、ということになりますね。

その前は、数十カ国の留学生が集まる同大学のアジア太平洋研究科で日本語と英語での論文の書き方を教えていました。プライベートでは二人の男の子の母親です。

様々な事情があって、上の子供が7歳の頃に、東京からイギリスに引っ越しました。現在はイギリスで子育てをしています。日本とイギリスでは教育のシステムが違いますが、日本の学年で言うのであれば、中学生の子供と小学校低学年の子供がいることになります。

特に長男は普通の日本の公立校に一度進学しましたから、様々な意味で二つの学校のシステム、二つの子供観を目の当たりにして生活することになりました。とても面白い経験ができたとしみじみ感じています。

今回、この連載では、小さな人たちと英文学に親しむことについてお話をしたいと思っています。子供たちにどんな教育を与えるべきか、という話をするとき、とかく話題になるのは英語ですが、この連載では「文学」と親しむことについてお話をしたいのです。

というのも、子供を育てていく上で、また二つの国を行ったり来たりしていく上で、やはりある程度のカルチャラル・リテラシー(文化リテラシー)は必要だ、と感じているからです。

文化リテラシーは色々と議論もある概念ですが、とりあえず「言語を知っているだけでは理解のできない文化的な読解力」とでも言っておけば良いでしょうか。後ほどゆっくりと説明をできれば良いと思っていますが、文化リテラシーの一部分に文学が位置します。

私は英文学やイギリスの文化が専門ですから、文学と親しむことには文化についての単純な知識を増やすだけでなく他にも大きなメリットがあるのだよ、と思っていますが、それでも外国文学を学ぶことの大きな利点の一つに文化リテラシーの習得があることは否めないのではないかと感じています。

ハリー・ポッターも、ピーター・ラビットも! 英文学とは何か

さて、そういうわけで英文学です。

実は「英文学」というくくりには数多くの問題があるのですが、とりあえず、今の段階では「英語で書かれた」「主にイギリスの」文学、としておきましょう。堅苦しく考えることはなく、ピーター・ラビットも、不思議の国のアリスも、ハリー・ポッターも英文学の世界の住人です。

一時期までの日本はイギリスの児童文学を非常に盛んに翻訳していましたから、お父さんやお母さんの中にも、小さいうちに自然な形で英文学にふれている方が多いのではないかと思います。同時に、

英文学なんて、ハリー・ポッターぐらいしか読んでいないよ

という方もいらっしゃるかもしれませんね。

何年か前に、日本での海外文学が売れない、というツイッターでのつぶやきが話題になったことがありましたから、もしかしたら、子供の頃に何冊か読んで以降は全く手にとっていらっしゃらない方も多いのかもしれません。

日本語にだって素晴らしい作品群があるんじゃないの? なぜ、わざわざまだるっこしい外国文学の翻訳を読む必要があるの?

このように、なぜ子供が外国文学とふれ合う必要があるのか、疑問に思うこともあるかもしれません。

幼少期から英文学にふれることのメリット

幼い頃から英文学にふれていることのメリットとして、以下の3つが挙げられると私は考えています。

1. 日本語力の向上
2. 異なる場所の知識を自然な形で得られること
3. 将来的に英語を使っていく上で静かな支えになること

「まだるっこしい」翻訳を読む力は、やがて、複雑な日本語を読んでいく上でとても役に立つことでしょう。

「お勉強」をしようとしなくてもワクワク読んだ海外発の児童書のおかげで、子供たちの頭の中には自分の身近な世界、日本を超えた世界の知識がすんなりと入っていきます。

そして、いずれ英語がとても上達した時、「まだるっこしいな」と思いながら読んでいた翻訳の言い回しが突然、かっちりとパズルのピースがはまるように英語を読む手助けになることがあるはずです。

日本語に素晴らしい作品群があることは本当です。けれど、翻訳されたものを読んでいくことの面白さや、メリットも確実にあるのです。

この連載では、ゆっくりと、小さな人たちが楽しめそうな「もとは英語で書かれた」本を紹介しながら、英文学とふれ合うことについて、お話できたらと思います。よろしくお願いいたします。