教育を考える 2019.3.12

「間に合わせの学力」では人生厳しい。「本質的な学力」を伸ばす“1日10分”の学び

「間に合わせの学力」では人生厳しい。「本質的な学力」を伸ばす“1日10分”の学び

「学力」とは、「教育を通じて獲得した力」です。一般的には、「どれだけ勉強ができるかを示す力」といっていいでしょう。文科省がおこなっている学力調査などは、まさにその意味で使われているものです。しかし、育児や教育に関する執筆活動の他、各種メディアで活躍する教育ジャーナリストのおおたとしまささんは、「『本質的な学力』とは『どう生きていくか』を考える力」だと語ります。

構成/岩川悟(slipstream) 取材・文/清家茂樹(ESS) 写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)

勉強をし過ぎる子どもと全然しない子ども

いま、小学生を見ていて問題に感じるのは、勉強をする子どもとそうではない子どもの差が開き過ぎているということです。これは中学受験に付随する問題でもあります。いまの中学受験は競争が過酷ですから、受験をするとなるとすごく勉強をしなければなりません。一方、中学受験をしないと決めた子どもは、逆に勉強を全然しなくなる傾向にあるように感じます。

人間形成のためか、あるいはいわゆる後伸びする力を養うためか、「子どもの頃にはできるだけ遊んだほうがいい」という意見もあります。でも、その遊びがただゲームをするだけだったり、スマホをいじるばかりだったりというものであれば問題でしょう。

もちろんずば抜けて勉強ができる必要はありませんし、教科書を丸暗記するような必要もない。でも、教科書に書かれていることを筋道立てて理解し、小学校で得るべき基礎学力を身につけておかなければ、その子どもの後々の人生は厳しいものになるはずです。

それこそ、中学受験はしなくても、高校受験や大学受験の場面で壁にぶつかることになるでしょう。基礎学力や学びの姿勢がなければ、そういうときに手にしようとするのは「付け焼き刃の学力」でしかないのです。つまり、高校入試や大学入試という目的をクリアするためだけの間に合わせの学力です。

もちろん、それで目的を達成できれば問題はないかもしれません。ただ、付け焼き刃の学力だけしかない場合と、それとは異なる「本質的な学力」を身につけている場合では、その後の人生は大きく変わってくるはずです。

「教養」が世界での自分の生かし方を示す

では、本質的な学力とはどんなものでしょうか。それは、ふたつの要素にわけられるとわたしは考えています。ひとつは教養。もうひとつは、学び続ける力です。

教養とは、「さまざまな学問の観点から世のなかを見る目を養うこと」です。ここではひとつの卵を例にしましょう。家庭科の観点からなら、卵を使ってどんな料理がつくれるのかという見方になる。栄養学の観点なら、黄身にはビタミンが多くて白身にはタンパク質が多いといった見方になるでしょう。

理科なら、この卵がニワトリのものなのか別の生き物のものなのかを見分けるための方法を考える。社会科なら卵の値段が決まった理由を考えるかもしれないし、数学なら卵の容積を求めたり、殻が描く放物線を数式で表す方法を考えたりするかもしれません。ひとつの卵というものも、いろいろな学問の観点、角度から光を当てることによってその本質が立体的に見えてきます。

「教養を得る」ということは、そういうふうにさまざまな視点に立つことで、ものごとをより正確に捉えられるようになることなのです。そうして教養を得ると、自分が置かれている世界を正確に把握し、そのなかで自分をどういうふうに生かしていくのかと考えられるようになっていきます。つまり、自分が「どう生きていくのか」を判断できるようになるのです。

これは「学ぶ意味」でもあり、もはや付け焼き刃の学力とはまったく別のものですよね。そして、教養が身についていれば、日常のなかで、「あ、こういうことも学ばないといけないな」と新たな課題を次々に見つけることもできるはずです。そういう意味では、「学び続ける力」も教養に含まれると考えることもできるかもしれません。

抽象的思考を高めるのは幼いときの「具体的体験」

子どもに本質的な学力、つまり教養を身につけさせたいのであれば、幼い頃から「具体的な体験」をできるだけたくさんさせることが重要です。

11歳くらいまでは、人間は抽象的な思考を苦手としています。だから、小学生のうちは「りんごがいくつでみかんがいくつ、合わせていくつでしょう?」というふうに、目に見えるもの、手で触れられるものを使って学びます。でも、中学生以降になると、抽象的思考ができるようになる。「x」や「y」という概念上の数字を使って表す方程式を理解するようになります。

抽象的思考では、りんごやみかんのような具体物を使いません。でも、頭のなかでは抽象的なものを具体物と同じように操作しています。そして、小さい頃に具体物に触れた体験が豊かであればあるほど、抽象的思考がより得意になるのです。そのために、小さい子どもにはできるだけさまざまな体験をさせてあげてほしいと思います。

また、高校受験や大学受験を見越した実利的な面からわたしの意見を述べると、やはり小学校の低学年のうちに学習習慣を身につけさせておくべきです。先にお伝えした、「学び続ける力」にも通じるものですが、受験で成果を出すにも、結局は「自ら学ぶ」姿勢が必要だからです。

そのためには、学校で出される宿題以外に、ほんの少しでもいいから別の勉強をすることを子どもの習慣に組み込んでみてください。内容は本当になんでもOKです。市販のドリルをやってもいいし、新聞を読んで気になった記事に対する感想を書くということでも、虫が好きな子どもなら自分で虫図鑑をつくるというプロジェクト型のものでもいいでしょう。

そして、それらをやる時間は本当に短くてもいい。1日に10分の「自ら学ぶ」習慣がついていれば、その10分を30分や1時間に伸ばすことができます。でも、ゼロを1にすることはものすごく大変です。自ら学ぶ習慣がないまま大人になると、その後の人生が充実したものでなくなる可能性が高いことは、簡単に想像できますよね。

中学受験「必笑法」
おおたとしまさ 著/中央公論新社(2018)

■ 教育ジャーナリスト・おおたとしまささん インタビュー一覧
第1回:過当競争極まれり。難関中学への“逆転入学”が子どもに弊害をもたらしている
第2回:「間に合わせの学力」では人生厳しい。「本質的な学力」を伸ばす“1日10分”の学び
第3回:学力は人並程度あればいい。「新たな時代」を生き抜くためには“3つの力”が必要だ
第4回:「教育虐待」のやっかいな実態。今の子どもには“決定的に足りない”時間がある

【プロフィール】
おおたとしまさ
1973年10月14日生まれ、東京都出身。教育ジャーナリスト。麻布中学校・高等学校卒業、東京外国外大学英米語学科中退、上智大学外国語学部英語学科卒業。株式会社リクルートを経て独立し、数々の育児誌、教育誌の編集に関わる。心理カウンセラーの資格、中学高校の教員免許を持っており、私立小学校での教員経験もある。現在は、育児、教育、夫婦のパートナーシップ等に関する書籍やコラム執筆、講演活動などで幅広く活躍する。著書は『受験と進学の新常識 いま変わりつつある12の現実』(新潮社)、『名門校とは何か? 人生を変える学舎の条件』(朝日新聞出版)、『ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』(幻冬舎)など50冊を超える。

【ライタープロフィール】
清家茂樹(せいけ・しげき)
1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。