スウェーデン南部の小さな町で育ち、16歳で単身来日した村雨辰剛さん。いまや庭師として日本文化を継承しながら、俳優・タレントとしても幅広く活躍しています。
頑固で個性的だった少年時代を支えたのは、こどもの「好き」を否定せず、静かに見守る親のまなざしでした。前編となる本稿では、村雨さんの原点となった家庭環境と親の関わり方を紹介します。
KCJ GROUP副社長・宮本美佐さんが、村雨さんに伺いました。
※本稿は、KCJ GROUPで行われた特別対談「村雨辰剛×宮本美佐」を一部抜粋・編集したものです。全文は「キッザニア白書2025」でお楽しみいただけます。
目次
「一度やってみなさい」と背中を押してくれた——スウェーデンでの幼少時代
村雨さん(以下 村雨): かなり個性の強いこどもだったと思います。友人はおりましたが、単独行動を好む傾向がありました。いつも自分の好きという思いと向き合っていて、「これがやりたい!」や「やりたくない!」がはっきりしていて、非常に頑固でした(笑)。
親は厳格でしたが、「なんでもまずはやりなさい」という感じで、“一度やってみる” という考え方が身につきました。
宮本さん(以下 宮本): 一度やってみる、という経験はどのような影響があったのでしょうか。
村雨: 僕が「嫌だ」と言うことに対しても、親は「まずは一度、経験してみなさい」というスタンスでしたので、そこから培われた考え方が自分の中にあるな、と思います。今でも僕が大事にしているのは、「一回やってみないと本質はわからない」という信念です。
宮本: なるほど。挑戦してみることはとても大切ですね。経験なくしては分からない事柄が数多く存在しますから。

こどもの頃の「好き」が好奇心へ——親は否定せず、応援してくれた
村雨: そんな僕が日本に興味を抱いたのは、生まれ育った小さな田舎町から外の世界へ飛び出してみたいという、単純で純粋な動機からでした。歴史や文化を勉強していく中で、西洋と全く違う “未知の国・日本” に惹かれていったのです。
宮本: “未知” に惹かれる、その冒険心はどのように育まれたのでしょうか?
村雨: それは僕自身も明確には分かりませんが…。おそらく、田舎の町で育ったことが影響したのかもしれません。そこから飛び出し、新たな世界を冒険したいという好奇心が芽生えたのだと思います。
宮本: そのような好奇心があっても、実際に日本へ渡るには高いハードルがあったかと思います。そこを乗り越える決め手は何だったのでしょうか?
村雨: 自分の頑固な性分と、冒険心、そしてさまざまな要素が一つになった結果だと思います。興味を持ったものに少しずつ入り込み、夢中になると、まわりが自然と応援してくれるようになるんです。たとえば、僕が中学生のときに日本語を勉強し始めたら、親は誕生日に分厚い和英辞典をくれました。
宮本: 村雨さんの主体性を否定せず、尊重しながらサポートされた、素敵な親御さんですね。
村雨: そうですね。その点はとても嬉しかったです。

少し手を放すことで、こどもの主体性は伸ばせる
村雨: 日本に来てまず驚いたのは、日本のこども達がとても “今を楽しんでいる” ということでした。みんなのびのびしていて、とても自由に生きているように見えたんです。僕の故郷と比べても、その姿がとても印象的でした。
その一方で、日本の親御さんは少し保守的というか…どうしても「こうしなさい」「ああしなさい」と指示しがちな印象も受けました。もちろん、良かれと思って言っているのですが、こども達が自分で考え、動く機会が少なくなってしまうこともあるのでは、と感じることがあります。
宮本:良かれと思うほど、つい口出しをしてしまうんですよね。
村雨: そうなんです。でも、のびのびと “今を楽しんでいる” こども達の姿を見ていると、親が少しだけ手を放したとき、こども達の世界はぐっと広がるのではないか、とも思うんです。「どうしたい?」と任せてみることで、本来持っている主体性が自然と育まれていく気がします。
宮本:こどもの主体性を育むためには、親自身のあり方も大切になってきますね。
親も自分の「好き」を楽しんでいい。こどもはパートナー
村雨: 親子の新しい関係性として、「親子ってもっとパートナーのようでいい」と思うんです。親は親の人生を楽しみ、好きなことに向き合って輝いている姿をこどもに見せる。こどもはその姿を見て「私も好きなことをしていいんだ」と思えるようになる。
こどもができた時点で、親がこどもに合わせるという考え方になってしまいがちですが、それは必ずしも必要ではないと思うんです。
宮本: 大人も自分の人生を主体的に生きる姿を見せることが、こども達にも良い影響がありそうですね。「こどもはパートナーだ」という言葉は、自分にとって新しい言葉です。
村雨: こどもができた時点で、親がこどもに合わせるという考え方になってしまいがちですが、それは必ずしも必要ではないと思うんです。言葉で言うのは簡単ですけれど(笑)。
こどもの「好き」はあたたかく見守って
宮本:これからの社会を担うこども達、そして支える大人たちへ、メッセージをお願いします。
村雨:まず、こども達にむけては、常にワクワクすること。「自分は何が好きなのか」「興味があるところは何なのか」を大事にして、いつまでも向き合ってほしいです。
そして、大人に向けては——日本ではどうしても “大人が先回りして型にはめる” ことが多いと感じます。「ああしなさい、こうしなさい」と守りに入りがちですよね。でも、こどもが情熱的になれるものを見つけたときは、できる限り止めずに、“あたたかく見守る” 距離感を大事にしてほしいと思います。
危ないことは止めなきゃいけないけれど、それ以外は、こどもが自分で悩んで、工夫して、「どうしたらできるか」を考える時間がとても大切なんです。
宮本:あたたかく見守る、良い言葉ですね。キッザニアとしても微力ながらその役割を担っていきたいと思います。
村雨:「好き」を大切にすること、そしていろいろと挑戦することが本当に大切だと感じています。キッザニアは、たくさんの仕事を体験できる場所なので、こども達にはここでたくさん挑戦してもらって、自分が何を「好き」なのか見つけてもらいたいなと思います。
宮本:そうですね。我々も、常に成長して、こども達にさらにワクワクしてもらえるようなキッザニアであるよう頑張ってまいります。
(後編へ続く)

【気になる!】
村雨さんはどうして庭師に?
村雨さんは、ご自身で見つけた“好き”を原動力に、日本への移住を叶え、26歳で日本国籍を取得されました。現在はどんな活動をしていらっしゃるのでしょう。
村雨:23歳の時、「日本の伝統文化に関わる一生の仕事」を探す中で、求人誌で造園業と出会いました。日本庭園の美しさに魅了され、庭師の道に飛び込みました。今は、造園業という仕事を軸に、メディアでも活動させていただいています。
26歳で日本に帰化したのも、今までやってきたこと、そしてこれからも一生日本庭園に関わっていくという決意の表れです。
■ 庭師・俳優 村雨辰剛さんx KCJ GROUP副社長 宮本美佐さん対談一覧
前編:こどもの「好き」をただ見守った親——大きな夢を叶えた原点|庭師・俳優 村雨辰剛 × キッザニア副社長対談
後編:先回りしない親の距離感が、こどもの挑戦する力を後押しする|庭師・俳優 村雨辰剛 × キッザニア副社長対談(※近日公開)
【プロフィール】
村雨 辰剛(むらさめ たつまさ)|庭師・俳優
1988年、スウェーデンのエンゲルホルム生まれ。16歳で日本のホームステイを経験し、19歳から日本に移住。語学教師や通訳の仕事を経て庭師に転身。26歳の時に帰化して「村雨辰剛」と改名。現在は、日本庭園と日本の伝統文化の魅力を発信しながら、俳優・タレントとしても活躍。
【プロフィール】
宮本 美佐(みやもと みさ)|KCJ GROUP 株式会社 代表取締役副社長
1990年、国際電信電話株式会社(現 KDDI株式会社)に入社。国際海底ケーブルの投資・建設・運用計画を担当。以後、新規事業立ち上げを経て、2020年より現職。広報・マーケティングの他、キッザニア施設以外でのこども達の職業・社会体験、学びの事業化、教育的価値の研究・発表等を管掌。
© KCJ GROUP「キッザニア白書2025」













