月曜の朝、時計の針が登校時刻に近づくなか、子どもが布団から出てこない。「学校行きたくない」と、小さな声でつぶやく。あなたの頭のなかでは、出勤時間、給食、欠席連絡、宿題、そして「行かせるか、休ませるか」が同時に渦巻きます。
何かつらい思いをしているんじゃないか、という心配。自分の育て方がどこかでまちがっていたんじゃないか、という後ろめたさ。でも休ませてばかりではこの子の将来に響くんじゃないか、という焦り。職場に欠席連絡を入れるときの、説明しがたい申し訳なさ。
そういった感情がいちどにこみ上げるなか、現実の時計の針は容赦なく進みます。出勤時間、欠席連絡の電話、玄関で待っている弟や妹、何より返事を待っている子ども本人。月曜の朝の数分間は、感情を整理する余白を、最初から与えてくれません。だからあなたは、気持ちの整理がつかないまま「行かせる/休ませる」のどちらかへ流れていきます。
そして流された判断は、夕方になってもあなたのなかに残ります。送り出した日は「やっぱり無理をさせたんじゃないか」と気になり、休ませた日は「あれでよかったんだろうか」と気になる。朝の数分で割り切れなかった感情は、消えずに一日、ときに何日も、あなたのなかで尾を引きます。
その尾の引き方こそが、子どものことを真剣に考えている証拠です。割り切れなかったのは、あなたが判断力に欠けるからでも、覚悟が足りないからでもない。心配と後ろめたさと焦りが同時に存在することそれ自体が、この子を真ん中に置いているあなたの姿だからです。だから、その感情は抱えたままでかまわない。これから紹介する3つの問いは、抱えた感情を片づけてから使う道具ではなく、抱えたままの数分でも手に取れる、ちいさな補助線です。
発達心理学と臨床心理学の研究は、子どもの「学校行きたくない」をひとくくりに扱わず、その背景にある「機能」を読み解いてから対応することを勧めています。月曜の朝、あなたが自分に投げかけられる3つの問いを紹介します。
目次
同じ「行きたくない」でも、中身はちがう
月曜の朝、子どもの「行きたくない」を前にしたとき、あなたが一人で「これはどういう状態なんだろう」と読み解こうとすると、たいていは途方に暮れます。仮病なのか、本当につらいのか、甘えなのか、何かのサインなのか——情報が足りないまま、数分で見立てを立てなければならないからです。
ここで力を貸してくれるのが、長年この問題に向き合ってきた研究者たちの蓄積です。世界中の臨床の現場で、似たような朝を迎えた家族が、これまでにもたくさんいた。その家族たちと子どもたちと向き合うなかで、専門家たちは「行きたくない」の中身が一様ではないことを、丁寧に確かめてきました。
たとえば、不安や恐怖から逃れたい子と、家で楽しいことをしていたい子では、同じ「行きたくない」という言葉を口にしていても、内側で起きていることはまったくちがう。「何を避けたいか/何を得たいか」という観点から子どもの行動を整理する見方は、この分野の代表的な研究の中で示されてきたものです(Kearney, 2008*1)。当たり前のように見えて見落とされがちなことを、研究は言葉にしてくれています。
この整理があなたの支えになるのは、「正しい対応をひとつに決めなくていい」と教えてくれるからです。中身がちがうなら、当然、向き合い方も一通りではない。だから朝の数分は、答えを出すための時間ではなく、この子の今朝の「行きたくない」がどのあたりにあるのかを、ほんの少しだけ覗いてみる時間として使えます。
次の3つの問いは、その覗き方を、研究者たちの整理からそっと借りてきたものです。
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問1. 体は、いま何を訴えているか
最初に確認したいのは、子どもの身体。子どもの「行きたくない」は、しばしば腹痛・頭痛・吐き気・食欲低下・倦怠感といった身体症状とセットで現れます。
ここで踏まえておきたいのは、子どもが訴える痛みや吐き気は、原因が何であれ、本人のなかで現実に起きているということです。「気の持ちようでは?」と疑う対象ではなく、まずそのまま受け取る——出発点はここに置きます。
そのうえで、子どもの体は、心と地続きで動いています。お腹が痛いという訴えの背景には、感染症や食あたりだけでなく、不安や緊張といった心理的な負荷も含まれうる。実際、不安をともなう登校拒否が、うつ病や分離不安障害と関連することは、子どもを対象とした地域調査でも報告されています(Egger, Costello, & Angold, 2003*2)。身体と心は、子どものなかでは切り離せないかたちで一緒に動いているのです。
「仮病か本物か」ではなく、「どれくらい重そうか」を見る
だから、朝の数分であなたが見るのは、痛みの真偽ではありません。体がどれくらい重そうか。それだけです。
顔色、声のトーン、布団から起き上がる動きの鈍さ、呼吸の浅さ。前日の睡眠時間、朝食を口にできたかどうかも、判断材料になります。
体がかなり重そうであれば、その日は無理をさせないほうが、長い目で見たときの登校維持につながりやすい。逆に、体は通常どおりに動いているなら、「行きたくない」の中身は心理面・社会面にある可能性が高いと判断できます。
問2. いま、何を避けたがっているか/家に何があるか
次に、ちょっと角度を変えて見てみます。子どもが「行きたくない」と言うとき、その矢印は学校から逃げる方向に向いていることもあれば、家にとどまる方向に向いていることもあるのです。
学校で苦手なテストがある、合わない友達と顔を合わせる、発表が控えている——こういうときの「行きたくない」は、学校にあるものから離れたくて出ている言葉です。一方で、家でゲームの続きをしたい、お母さんともう少し一緒にいたい、寒い布団から出たくない——こういうときの「行きたくない」は、家にあるものに近づいていたい気持ちから出ています。同じ「行きたくない」が、矢印として真逆を向いていることがあるのです(Kearney, 2008*1)。
矢印の向きが違うと、その朝あなたができることも変わってきます。
学校から離れたがっているとき
学校にあるものから離れたくて言っている「行きたくない」なら、休ませるか行かせるかを決める前に、「何から離れたいのか」のほうが大事になります。
「今日テストある日だっけ?」「最近、〇〇ちゃんとはどう?」と、思い当たる場面をいくつか並べてみる。子どもがどれかに反応すれば、それが手がかりです。具体的な対象が見つかったら、その日の登校・欠席よりも先に、その対象と子どもをどう距離調整するかを考える。担任にも一言、共有しておくといいでしょう。
家から離れたくないとき
家にあるものに近づいていたくて言っている「行きたくない」のときは、休ませること自体は悪い選択ではありません。ただし、休んだ日が「学校に行くよりずっと楽しい一日」になってしまうと、翌週もまた同じ朝になりがちです。
ゲームや動画は、いつもの平日と同じ量にとどめる。お母さんやお父さんが在宅で仕事をしているなら、いつも通り仕事の時間を持つ。家を「特別なごほうび空間」にせず、ふだんの家のままにしておく——それだけで、家に引き寄せる磁力の強さは変わってきます。
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問3. 今朝だけのことか、続いていることか
3つめは、時間軸の確認。
「行きたくない」が、月曜だけ、あるいは数か月ぶりの一回限りなのか。それとも、ここ数週間、複数の曜日にわたって続いているのか。
単発の場合:1日の判断としての軽い対応
単発であれば、その朝の機嫌や疲労、前日の出来事が要因になっていることが多く、対応も比較的シンプルです。
学校に「少し遅れるかもしれません」と一報を入れて時間を稼ぎ、子どもと数分だけ話す。それで動き出すなら送り出し、動かなければその日は休むという判断に切り替える。1日の判断としては、それで十分です。
継続している場合:家庭だけで抱え込まない
一方、複数週にわたって続いている場合、その朝だけで結論を出すのは現実的ではありません。
ここで知っておきたいのは、子どもの「行きたくない」は、家から見える顔と、学校で見せている顔と、本人の胸のうちで起きていることが、それぞれ違うことがあるということです。家庭で見えるものだけで原因を決めず、学校側の状況とあわせて見ることの大切さは、この分野の研究でも繰り返し指摘されてきました(Heyne et al., 2019*3)。
朝の食卓では機嫌よく見えても、教室では別の顔をしているかもしれない。逆に、家ではぐったりしていても、学校では先生にちゃんと話せていることもある。どちらか一方の景色だけで「この子はこういう状態だ」と決めてしまうと、見立てがずれます。
数週間にわたって続いているなら、担任やスクールカウンセラーと、その子の「学校側の景色」を一度共有する。家のあなたが見ていない時間帯のことを教えてもらう。それだけで、月曜の朝に一人で抱えていたものが、ぐっと軽くなります。

朝の問いを判断材料にする
ここまでの3つの問いは、「行かせる/休ませる」を選ぶための診断ツールではありません。
あくまで、即決の前にワンクッション置いて、「いま起きていることの大きさ」を測るためのものさしです。
体が重く、不安の対象が具体的で、何日も続いている。そう読み取れた朝は、休ませて態勢を立て直すほうが、子どもにとってもあなたにとっても理にかなっています。
逆に、体は元気で、避けたい対象も漠然としていて、今朝に限ったことだ。そう読み取れた朝は、子どもと短く話したうえで、いつもどおり送り出すほうが、お互いに落ち着きます。
そして、3つの問いに即答できないとき、つまり「よくわからない」が答えのときは、判断そのものを少し後ろにずらすという選択肢があります。
学校に「少し遅刻します」と連絡を入れる。子どもにあたたかい飲み物を渡す。10分後に、もう一度。判断を急がないだけで、子どもの「行きたくない」は、別の景色に見えてくることがあります。
親自身が、二択に追い込まれないために
最後にひとつ。月曜朝の判断は、その月曜だけで完結しません。
「行ったほうが偉い」「休ませたら負け」と、あなた自身が判定の二択に追い込まれないこと。それが、いちばん子どもを支えます。
冒頭で書いたとおり、朝の判断は夕方もあなたのなかに残ります。その引っかかりは、消そうとしなくていい。むしろ、その引っかかりがあるからこそ、翌日のごはんの時間、寝る前の数分、土曜の昼下がりに、ふと子どもの様子をうかがうことができます。月曜の朝の数分では拾いきれなかったものを拾い直す機会は、火曜から日曜のあいだに何度でも訪れます。
行かせた日は、夕方に「今日はどうだった?」と尋ねるより、「よく行ったね、お疲れさま」とねぎらう。休ませた日は、ゲーム漬けではなく、子どもが落ち着ける時間を一緒に確保する。
次の月曜が来る前の、火曜から日曜の関わりが、その子の「行きたくない」を少しずつ柔らかくしていきます。
もちろん、月曜の朝に時間の余裕はありません。ここで言う「立ち止まる」は、すこしの深呼吸でも、パンを焼いているあいだの一拍でもかまわないのです。即決から半歩ずれること。それ自体に、意味があります。
***
「行かせる/休ませる」を選ぶことよりも、選ぶ前に少しだけ立ち止まれること。そして、選んだあとも自分を責めすぎないこと。
布団のそばに立ち、子どもの小さな声を受け止め、頭のなかで何通りもの想像をめぐらせながら、それでも今日の判断を下そうとしている——その姿勢自体が、もうじゅうぶんに、いちばん近くで子どもを守っているということです。
うまく決められなくていい。割り切れなくていい。
朝の数分を駆け抜けたら、深く息をひとつ。今日のあなたは、今日のかたちで、ちゃんとこの子に向き合えています。
よくある質問(FAQ)
Q1. 月曜だけ「行きたくない」と言います。サボりでしょうか?
A. サボりかも、と疑ってしまうお気持ちもよくわかります。ただ、休み明けの月曜だけ重くなるのは、大人にもよくあること。週末のリラックスから一気に集団生活へ戻る切り替えは、子どもにとっても大きなコストです。月曜の単発がずっと続いているわけでないなら、まずは深刻に受け止めすぎず、いつもどおりの朝を心がけるだけでじゅうぶんです。
Q2. 「お腹が痛い」と言う日と元気な日があります。どう受け止めたらいいですか?
A. 元気そうに見える日があると、つい「あの痛みは本当だったのかな」と迷ってしまいますよね。でも、子どもが痛いと言ったときの痛みは、本人のなかで本当に起きているものです。日によって違うのは、痛みのきっかけになる出来事が、日によって違うから。「痛い日にはなにか共通点があるかな?」と眺めてみてください。なかなか答えが見えないときは、ひとりで抱え込まず、かかりつけの小児科やスクールカウンセラーを頼っていいタイミングです。
Q3. 一度休ませたら癖になりそうで怖いです。
A. その心配、まじめにこの子のことを考えているからこそ出てくるものです。だいじょうぶ、1日休んだだけで癖がつくことは、ほとんどありません。気をつけたいのは、休んだ日が「学校に行くよりずっと楽しい一日」になってしまうこと。ゲームや動画はいつもの平日と同じくらいにとどめて、家を「特別なごほうび空間」にしない——それだけで、翌週の朝はずいぶんちがってきます。
参考文献
*1 ScienceDirect|School absenteeism and school refusal behavior in youth: A contemporary review(Kearney, 2008)
*2 JAACAP|School refusal and psychiatric disorders: A community study(Egger, Costello, & Angold, 2003)
*3 ScienceDirect|Differentiation between school attendance problems: Why and how?(Heyne et al., 2019)









