「叱らないと、しつけにならない」
いま子育て中の私の世代のみなさんのなかには、そうやって厳しく育てられてきた人も多いのではないでしょうか。でもいま、親として子どもと向き合うなかで、「この方法でいいのだろうか」「私のやり方は間違っていないかな」と不安になることもありますよね。
そんな思いを誰かに話したくても、なかなか難しいのが現状です。核家族化が進み、親世代に相談することも簡単ではありません。また少子化の影響で、近所で子育てを学び合える機会も減ってきました。厚生労働省の調査でも、こうした状況のなかで多くの親が孤立感や不安を抱えていると指摘されています。
1980年代、アメリカの研究者たちは「マルトリートメント(Child maltreatment、マルトリ)」という概念を提唱し、私たちが「しつけ」だと思っている行動のなかに、じつは子どもの成長に深刻な影響を及ぼすものが潜んでいる可能性を指摘しました。日本語では「不適切な養育」と訳され、徐々に知られるようになってきました。以来、研究が重ねられ、「マルトリートメント」が子どもの脳に与える悪影響が次々と明らかになってきています。
この記事では、その研究から見えてきた新たな発見と、より自然な親子関係を築くためのヒントをご紹介します。
マルトリ=不適切な養育 知っておきたい子育ての落とし穴
虐待などによる痛ましいニュースを目にするたび、多くの親が心を痛めているはずです。しかし、「自分は虐待とは無縁」と思っていても、何気ない日頃の関わり方が子どもの健全な発達を妨げているかもしれません。
厚生労働省の「子ども虐待の援助に関する基本事項」では、マルトリートメントは身体的、性的、心理的虐待およびネグレクトを含む概念として位置づけられています。重要なのは、必ずしも虐待のような極端な行為だけを指すわけではないという点です。まずは下のチェック項目で、当てはまるものがないか見てみましょう。
【親のマルトリチェックリスト20】
【言葉に関すること】
□ 「お兄ちゃんはできるのに」などきょうだいや他の子と比較する
□ 「どうせあなたは……」など否定的な言葉を繰り返す
□ イライラして大声で怒鳴ってしまう
□ 子どもの意見を最後まで聞かない
□ 子どもの外見や体型について否定的なコメントをする
【体に関すること】
□ 「これくらいなら」と頭や尻を叩く
□ 「言葉で言ってもわからないから」と体罰をする
□ 「残すな」と言って、泣いても無理やり食べさせる
□ 熱があっても「大丈夫でしょ」と通園・通学させる
□ お風呂や着替えなど、清潔な環境を保てない
【生活に関すること】
□ 朝から晩まで仕事で、「おはよう」「おやすみ」も言えない
□ 「ちょっとだけ」と言って、子どもを家に置いて出かける
□ 「面倒だから」とインスタント食品ばかり食べさせる
□ 子どものスケジュールや生活リズムを無視し、深夜まで寝かせない
□ 子どもの私物や大切にしているものを勝手に捨てる
【性に関すること】
□ 嫌がっているのに、一緒にお風呂に入ることを強要する
□ 子どもの体を必要以上に触ったり、からかったりする
□ アダルトな内容の動画や雑誌を子どもの目につくところに置く
□ プライバシーを尊重せず、子どもの部屋や手紙、日記を勝手に見る
□ 「女の子だから家事手伝いしなさい」など、性別で制限する
これらの行動は、些細な出来事に思える方もいるかもしれません。しかし、知らず知らずのうちに子どもの心に刻まれていく小さな傷が、取り返しのつかない影響を及ぼすこともあるかもしれません。
マルトリによる子どもの脳への影響
前章のチェックリストに示したような親の不適切な発言や行動は、子どもの脳を傷つける危険性があることが、最新の研究でわかっています。福井大学子どものこころの発達研究センター発達支援研究部門の友田明美氏はこう指摘します。
「マルトリ」が、発達段階にある子どもの脳に大きなストレスを与え、実際に変形させている。(中略)子どもの脳は、日々、子どもに何気なくかけている言葉、取っている行動が過度なストレスとなり、知らず知らずのうちに、子どもの心(脳)を傷つけてしまうことがある。
(引用元:J-STAGE|マルトリートメント(マルトリ)が脳に与える影響と回復へのアプローチ)
友田氏の研究によると、日常的な「不適切な養育」を受けた人の脳には、明確な変形が確認されているといいます。たとえば、叩くなどの体罰を受け続けると、考えることや感情をコントロールする前頭前野が萎縮してしまう可能性があります。また言葉の暴力は、音声を処理する聴覚野の形を変えてしまうことも。さらに、怒鳴られるなどの恐怖や不安といった強いストレスは、感情の記憶を担う扁桃体を変形させることが報告されています。
さらに友田氏は「子どもの学習意欲の低下を招いたり、引きこもりになったり、大人になってからも精神疾患を引き起こしたりする可能性がある」と指摘しています。私たち大人が「しつけのため」と思って行っている行為が、子どもの脳に大きな負担をかけ、子どもの将来にまで影響を及ぼしてしまうのです。
気づきにくい変化、子どもの心のなかで起きていること
こうした日々の不適切な大人の態度は、一見してわかるような大きな変化ではなく、静かに子どもの心を蝕んでいきます。そのため、周りの大人たちにはなかなか気づきにくいものです。マルトリの子どもへの主な影響を以下にまとめました。
自尊心の低下
「自分はダメな子なんだ」という思いが心の奥底に根付いていくと、新しいことに挑戦する勇気が削がれ、自分を信じる力が弱まっていきます。それは、子どもの可能性の芽を、知らず知らずのうちに摘んでしまうことにもなりかねません。
不安とストレス
子どもは常に大人の機嫌を伺うようになります。「また叱られるかもしれない」という不安が、本来もっている好奇心や冒険心を抑え込んでしまうのです。子どもらしい自由な発想や行動が減っていくことは、成長の機会を失うことにもつながります。
感情表現の困難
「言ったら怒られる」「言わないほうが安全」と学習した子どもは、次第に自分の感情を抑え込むようになります。喜びも、悲しみも、怒りも、すべての感情を適切に表現し、受け止められる経験は、健全な心の発達に欠かせないものです。
子どもの健やかな成長を支えるために、私たち大人には日々の小さな気づきが大切です。元気のなさや突然の反抗的な態度は、子どもからのメッセージかもしれません。子どもの様子に変化を感じたとき、それは普段の関わり方を見つめ直すきっかけとなります。子どもの心の声に耳を傾け、その思いを理解しようとする姿勢を大切にすることで、よりよい親子関係を築いていくことができるのです。
マルトリを防ぐために、わたしたちができること
子育てのなかで感じる不安やストレスは、誰もが経験するものです。完璧な親などいません。むしろ、子どもと一緒に成長していく過程こそが子育ての本質なのかもしれません。そこで、よりよい親子関係を築くためのポイントをご紹介します。
1. 日頃から子どもへの言動を意識する
日々のなにげない言葉が、子どもの心を育みます。「そうだね」「〜だったんだね」と子どもの言葉を受け止めたり、「お片づけができたね」と具体的な行動を認めたりすることで、子どもは自分の存在を肯定的に感じることができます。否定的な言葉や一方的な指示は控えめにし、子どもの思いに耳を傾ける時間を大切にしましょう。
2. 感情的になったら、クールダウン
イライラや怒りを感じたとき、まずは一呼吸置きましょう。子どもに危険がなければ、その場から少し離れて深呼吸をする、窓の外を眺める、水を飲むなど、自分なりのリセット方法を見つけることが大切です。気持ちが落ち着いてから向き合うことで、より穏やかな対応ができるようになります。
3. 子育ての輪を広げる
子どもの成長には、さまざまな発達段階があります。自己主張が強くなる時期も、甘えが強くなる時期も、反抗的になる時期も、すべては成長の過程です。それぞれの段階で、子どもは新しい力を身につけ、感情をコントロールする方法を学んでいきます。ひとりで抱え込まず、保育園や幼稚園の先生、地域の子育て支援センター、同じ年頃の子をもつ親同士など、周りの支えを借りることも大切です。時には一時保育を利用して自分時間をつくり、心にゆとりをもつことで、より豊かな親子関係を築くことができます。
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温かな眼差しと、安心できる環境こそが、子どもの健やかな成長を支える土台となります。できることを少しずつ始めていきましょう。完璧な親など存在しません。でも、よりよい親子関係を築こうとする姿勢そのものが、子どもの成長を支える大切な要素となるのです。一日一日の小さな変化が、きっと明日への大きな一歩となります。穏やかで温かな子育ての道を、一緒に歩んでいきましょう。
(参考)
厚生労働省|子育て世代にかかる家庭への支援に関する調査研究 報告書
J-STAGE|マルトリートメント(マルトリ)が脳に与える影響と回復へのアプローチ
たまひよ|子どもの成長を妨げる「マルトリートメント(不適切な養育)」とは?