あたまを使う/サイエンス 2018.4.23

“一丁前” を “一人前” に。親がリアクションするべき、子どもの「数学的なコトバ」とは?

黒澤俊二
“一丁前” を “一人前” に。親がリアクションするべき、子どもの「数学的なコトバ」とは?

子どもは偉そうにします。本人にはそのようなつもりはありませんが、覚えたての言葉遣いが、そうさせてしまうのです。子どもは身近な大人たちをまねっこするものですから、いわば大人たちの “鏡” みたいなものなのでしょう。

さて先日、歩道橋を歩いていたら、すれ違った家族連れの会話が聞こえてきました。小学校1年生になるかならないかぐらいの小さな子が、パパとママに向かって次のように言ったのです。

「パパ、どういう風の吹き回し? それじゃあ、私の立場、ないじゃない」

すると、パパは子どもに返しました。

「『自分の立場』か。すごいこと言うね。自分のことを自分で考えたんだね。一人前だね」

そんな会話を耳にした私は、「『風の吹き回し』? 『わたしの立場』? そんな『コトバ』を使うんだ」「『一人前』というよりも『一丁前』ですな」と思いました。その一方で、笑顔で応えるパパとママの姿がなんともほほえましく、感動的にも思えてきたのです。

なぜならば……。あの親は、子どもが “自分自身” や “自分の立場” を考えていることに気づき、一人前として、我が子のことを「コトバ」できちんと認めていたのですから。

“一丁前” を “一人前” にする「リ・アクション」

“一丁前” な大人のまねをした子どもの発話に、すなおに “一人前” として立場を認める返答をする。本当にすばらしいですね。

これは、見方・考え方を育てる栄養剤のような「リ・アクション」です。何かの見方・考え方を、子どもが “わざわざ” 発したプロセスのなかに認め、価値づけ、フィードバックする「リ・アクション」、すなわち『PFR(プロセス・フィードバック・リアクション)』が、子どもの成長に大きな効果を与えます

なぜならば、今後に役立つ方法や仕方を、子どもが自ら学ぶチャンスだからです。子どもが何かの過程でがんばった努力を取り上げて認めていく「リ・アクション」が、まねっこの “一丁前な行為” を “一人前な行為” として自覚させ、子どもの独り立ちへと導いていきます。

子どもは、大人のまねをして一丁前の「コトバ」を親に発し、一人前として認めてくれるかどうかを試しています。親の「リ・アクション」によって、子どもは自分を軌道修正したり強化したりするのです。

そう考えると、プロセスにある見方・考え方を価値づける大人の「PFR」が、ますます重要な行為となってきます。子どもは、無視されたら、二度と自分を表現しなくなってしまうかもしれませんからね。

「単語」から「文」へ

小さな子どもは、「コトバ」のシャワーを浴びながら、あるとき自分の興味関心に従い、気に入った単語の「コトバ」をまねっこします。さらに、3歳ごろからは、覚えた単語の「コトバ」を「文節」として用い、いよいよ「文」に相当する発話が出てきます。すると、一丁前に自分の意見や感想を表現するようになるのです。

例えば先日、保育園の子どもたちのお散歩に出会いました。そのとき、先生にしきりに話しかける子どもがいたのです。

「わんわん。わんわん」
「わんわんだよ」
「小さいね」
「このわんわん、すごく小さいね」
「小さいけど、わんわんのなかま」
「これ、わんわんのなかまだよね」
「わんわんの顔している」

その子は、何度も何度も同じような「単語」を繰り返したあと、だんだん「文」になってくる表現を始めていました。

残念ながら、「わんわん『同じ』なんだ。わんわんの『なかま』なんて、すてきなコトバだね。じっくりと小さいわんわんを見ていたんだね。すごいね」といったような、先生の「リ・アクション」(PFR)はありませんでしたが……。歩道橋で出会ったパパのように、“一人前” として、その子の立場を認めてあげたかったところです。

「文」に含まれる「見解」

「文」のように、単語を組み合わせた発話の多くは、子どもなりの一人前の立場を示しています。いわゆる「見解」です。「見解」とは、あるモノに対して、ある見方や考え方に基づいた自分なりの意見のこと。

「コトバ」を組み立て、「見解」が子どもの発話のなかに登場してくると、数学的に俄然おもしろくなります。なぜならば、「見解」のなかには、算数力向上に向けた「数学的態度」を育てる数学的な「コトバ」があるからです。

「見解」なんて堅いコトバですね。それでは、“子どもが思ったこと・気づいたこと” でもいいでしょう。いずれにせよ、「見解」には、子どもの見方や考え方が含まれているひとつの「判断」があります。

そうなのです。「見解」には、「〇〇は△△である」という命題的な「判断」があります。そして、「見解」に含まれる命題的な「判断」には、数学的な「コトバ」がよく用いられるのです。

「見解」に役立つ数学的な「コトバ」

逆に考えるのならば、「見解」を表現するには、数学的な「コトバ」が非常に役立ちます。「なかま」とか「同じ」とか「したがって」とか「だから」といった日本語の数学的な「コトバ」、もちろん数字や図形などの数学そのものの「コトバ」が、「見解」を表現するのに便利なのです。

ですから、数学的な「コトバ」を子どもにたくさん浴びせ、まねできるようにスタンバイさせたいのです。「見解」を発しやすいように。「見解」が出てきたら「PFR」なのですが、その前に、「見解」が出てくるように意図的に、数学的な「コトバ」を浴びせて仕掛けておくのです。

それでは、なぜ仕掛けてまでも「見解」を含んだ子どもの発話を求めていくのでしょうか。もちろん「算数力」向上を目指して算数的態度を育てていきたいからなのですが……。次回は最終回。「見解」を求める意味や意義を総括として記していきます。