2018.6.2

【夢のつかみ方】日本テレビ報道局政治部記者・右松健太さん(前編)~評価を得るために仕事と向き合った13年間~

【夢のつかみ方】日本テレビ報道局政治部記者・右松健太さん(前編)~評価を得るために仕事と向き合った13年間~

日本テレビに入社後、バラエティや情報番組、『NEWS ZERO』などのニュース番組にアナウンサーとして携わり、そこから報道局に異動した右松健太さん。キャリア13年間のアナウンサー人生で得たのは、職業が担う「使命」でした。本当の夢だった憧れの報道記者になるべく月日を積み重ね、その夢が花開いたのは、30代後半。迂回しながらも夢をつかんだのは、仕事に対する真摯な思いがあったからでした。

構成/岩川悟 取材・文/渡邉裕美 写真/玉井美世子

30代後半で夢をつかむために下した決断

日本テレビのアナウンサーとなり着実にキャリアを重ね、堅実な仕事ぶりで中堅アナウンサーとして評価を得ていた右松健太さん。そんな右松さんはキャスターの立場で出演していた『NEWS ZERO』を2016年3月に卒業し、報道局へと異動します。自らの希望での異動でしたが、視聴者からは突然に思えた番組卒業。その背景には、こんな思いがあったそうです。

「30代前半までは、ひとりの社会人として充実した時間をすごしていましたが、同時に『これで本当にいいのかな?』という気持ちも抱えていました。もちろんアナウンサーという仕事も素晴らしいものです。でも、報道記者として現場に入って、それまでの自分の立場では見えなかったものを感じていきたい。スタジオだけの仕事ではなく、現場で問題意識をもって自分が取材した視点でニュース原稿を書いてみたい。ひとことで言えば、『いましかできないことをしたい』と強く思ったんです」

アナウンサーとして番組でニュースを伝えるごとに実感していった、アナウンサーと記者という職業とのちがい。これがなにかというと、「情報を伝えるアンカーマン」と「情報の端緒をつかんでくる記者」という、報道現場における担当する役割のちがいでした。

「箱根駅伝で例えると、アナウンサーは10区を走るランナーかもしれません。タスキを受け取って、ゴールテープ切る役目ですよね。一方の記者は、先陣を切って一区を走るランナー。日差しの当たらない場所に潜んでいた話題に光を当てて、世間に知らせるための最初の扉を開ける役割を担っています」

そのちがいを自身で明確に知り理解するにつれ、右松さんの心に浮かんできたのは、かつて描いた報道記者になる夢でした。

「もともとはテレビの報道記者志望でした。活字ではなくテレビのメディアを志望していたのは、この夢を与えてくれたのがテレビだからという理由です。小学校の高学年のころ、湾岸戦争のニュース生中継を見たんです。銃をもったイラク兵が行き交う緊迫した空気に包まれたバグダッドから、現地の様子を果敢にリポートしていた報道記者の姿を見て憧れを抱きました。『いま現実に起こっていることを伝える仕事はこんなにもカッコイイんだ。こんな大人になりたい』と」

現場で働く報道記者を希望していたものの、アナウンサーで入社すれば、テレビ局勤務でスタジオでの仕事が基本になります。ただ、その職場は、記者になりたいという夢があれば異動を申し出ても不思議ではない環境。にもかかわらず、右松さんは13年間にわたりアナウンサーとしての職務をまっとうします。

「入社面接のときから『報道番組に携わりたい』とは言い続けていましたが、主張するにはまず仕事で評価されないといけませんよね。なにも評価されていないのに、自分がやりたいことはできないものだと思うんですよ

そんな思いから、右松さんはアナウンサーの仕事に対して一つひとつ丁寧に向き合い続け、やがてその姿勢は夢のしっぽをつかむことに。

日本テレビ報道局政治部記者・右松健太さんの夢のつかみ方前編2

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着実に実績を積み重ねてつかんだ夢の入口

「アナウンサーとして、スポーツ中継でサッカーやレスリングの実況、バラエティ番組の進行アナウンサーなどさまざまな経験をさせてもらったぶん、どのジャンルが自分に向いているのか悩むところもありました。そこで目指したのは、オールラウンダー的にできるアナウンサーになること。アナウンサーの仕事は番組に出演するだけでなく、ナレーションなど多岐に渡りますからね。そして、担当する仕事を手を抜かずに一生懸命やり続けてきたことで、少しずつ僕が入社当時から言い続けた夢の芽が出てきたんです。それが『NEWS ZERO』の出演です。現場を取材したい思いが体現化された瞬間でした」

このことにより、アナウンサーとは? 報道記者とは? それぞれの職業が担う使命について実感し、考える機会が増えていったそうです。

「東日本大震災の被災地から中継したとき、『現場のいまを伝えるのが、アナウンサーの僕であっても報道記者であっても、“いまここで生活する被災者の代弁者”である』と強く実感しました。それまでも、アナウンサーや報道記者は“主役を輝かせる”ことが大切だと思っていました。ですが、被災した現場からの中継をきっかけに、被災地から発してもなかなか遠くには届きにくい声を届けることがニュース番組の使命だと、強く感じたのです。自分の人生は学生時代から、副学級委員や副キャプテンなどリーダーを支える2番手、3番手の生き方でした。こういう生き方を、僕自身は誇りに思っています。だからこそ、表立っては見えないなにかに光を当てるこの仕事にもっと深く携わりたい。そして、なにかにスポットを当て輝かせることがこの仕事の矜持だということを、あらためて肝に銘じる機会になったんです

こうして、小学校のころに描いた「こんな大人になりたい」という夢が会社に受け入れられ、報道記者という次のステージに立った右松さん。ところが、これが一筋縄ではいかない仕事だったのです。

→後編に続く

■ 日本テレビ報道局政治部記者・右松健太さん インタビュー一覧
第1回:【夢のつかみ方】(前編)~評価を得るために仕事と向き合った13年間~
第2回:【夢のつかみ方】(後編)~報道記者として鍛えながら、なおも夢を追い続ける日々~
第3回:【テレビと子どものいい関係】~テレビは、子どもと社会をつなぐ「窓」の役割~
第4回:【学習における動機の大切さ】~偏差値40からの逆転!~

【プロフィール】
右松健太(みぎまつ・けんた)
1978年11月6日生まれ、東京都出身。2003年に日本テレビに入社し、アナウンサーとしてバラエティや情報番組やニュースなどを担当。2010年4月よりニュース番組『NEWS ZERO』のキャスターとして、政権交代や沖縄基地問題、東日本大震災などの現場を取材した。2016年6月より報道局に異動し、日本テレビの記者として日々取材を続けている。