あたまを使う/国語 2018.5.18

なんば先生の国語教室【第6回】「通じ合い」の大切さ

難波博孝
なんば先生の国語教室【第6回】「通じ合い」の大切さ

こんにちは、難波です。
前回は、幼稚園・保育所の幼児教育から、小中高の教育、そして大学入試や大学教育まで、教育が大きく変わっていること、その中でも「国語力」が、重要視されていっていることをお話しました。

そして、その中でも注目したいのが「通じ合い」とも述べました。今回はこのことを考えてみます。

会話文への理解力を求める真の狙いとは?

さて、今回もセンター試験に変わる大学入学共通テストのモデル(予行演習)問題を見てみましょう。

(前略)
姉「なるほどね。それで、うちの周りはどうなるの?」
父「うちの前の道路、『ゆとりある歩行空間を確保』っていう話だったから、電柱を移動させるか、電線を埋設するかになるんだろうけど、狭いままだってことは変わりないな。」
姉「我が家の外壁を塗り直そうかって時は、その費用は市が負担してくれるの?」
父「多分、それはないんじゃないか。市の予算は、公共の環境整備に使うんだろう。」
姉「あれ、そうなの?・・・ところでお父さんは、このガイドライン導入について、どう思っているの?」
(後略)

(引用:独立行政法人 大学入試センター|「大学入試共通テスト(仮称)」記述式問題のモデル問題例

センター試験に変わるテストにこのような会話文が出ることを知って、みなさんはびっくりされることでしょう。そうです。記述式問題が出るだけではなく、このような会話文も出るのです。

しかも、古文にも会話文(座談会の記録)が入る問題がモデル問題として出されました。このようなものです。

竹内「そうか・・・・。つまり、状況は違っても、「夕映えの雲」のイメージを与えてくれる詩が必要だったんだ!」
黒澤「そう考えるべきでしょうね。みごとは表現技法です。(中略)さて、なんだと思います?
竹内「ラストシーンとして格好いいというだけじゃないんですね。(後略)」

(引用:独立行政法人 大学入試センター|「大学入学共通テスト」マークシート式問題のモデル問題例

時代は変わりましたね。大学入試の古文の問題にも会話文が出るのです。

これらのような会話文が使われているのは、ある特定のコミュニケーション場面の中で、問題を解くということが求められているということを表しています。

従来の入試やテストは、特定のコミュニケーション状況ではなく、どのようなときも一定であるような答え(一般性のある答え)を求められました。このような答えは今後も必要でしょう。

しかし、それだけではなく、ある特定の場面でしか通用しないような答えも求められるようになっているのです。そしてこれは、間違いなくこれからの社会に必要なことです。

ある特定の場面(コミュニケーション状況)で、その場面でもっともふさわしい答えを求める。

言い換えれば、現実は、「常に正しい答え」などないということでもあります。

だからこそ、そのコミュニケーション状況ではなにが求められているかを、すばやく適切に判断しなければなりません。

この力こそ、「通じ合い」の力なのです。

会話文を読み解くために必要な力

先程の父と姉の会話は、町並み保存を打ち出した市の施策に対して、親子が議論しているという状況でした。そして、設問として、次のようなものが出されていました。

問3 会話文から読み取ることができる、父と姉の「景観保護ガイドライン」の導入についての議論の対立点を、「〜の是非。」という文末で終わるように二〇字以内で述べよ。

父と姉とでは、市の打ち出した施策について意見の対立があるようなのです。みなさんは、上に示した会話から、どちらがどのような意見を持っているか推測してみて下さい。

本当は全文読まないとわからないのですが、なんとなく父が賛成、姉が反対という感じがしませんか? 実は、正反対なのです。実は父が反対、姉が賛成なのです。会話文全文を素直に(これは第4回でお話したことです)読むと、そのことがわかるようになっています。

このような会話文を読み解くためには、コミュニケーションの経験が必要です。人と人とが関わる経験を豊富にすることが大切です。

しかし、私はあえて「コミュニケーション力」が必要と言わず、「通じ合い」の力が必要だと述べました。それはなぜでしょうか。

言葉の裏に潜む心情を通わせる“通じ合い”

コミュニケーション」という言葉は、今「伝達」「伝え合い」という日本語で説明されることがあります。しかし、「コミュニケーション」と「伝え合い」とではなんとなく違いますね。

「伝え合い」だと、メッセージを伝達し合っているというイメージがあります。しかし「コミュニケーション」にはそれ以外のニュアンスもありそうです。

私とあの人とは「伝え合い」ができている、というのは、私とあの人とは「コミュニケーション」ができているとは違いますね。もう少し、心の通い合いというニュアンスが、「コミュニケーション」にありそうです。

実は、「コミュニケーション」という用語が日本に入った時、当時国語教育・国語学の学者であった西尾実氏が「通じ合い」という訳語を広めました。確かに、「伝え合い」と「通じ合い」とでは、意味がかなり違っている感じがします。

コミュニケーションには、メッセージの伝達だけではなく、「心と心」とのつながりをも表しています。相手の気持ちや立場がわかっている、というニュアンスがあります。

言葉の表面的な意味の伝え合いをコミュニケーションとは言いません。コミュニケーションとは、相手の心をわかろうとすることお互いに心をわかろうとすることを指すのです。西尾氏はなんとかコミュニケーションにあるそのニュアンスを出したくて、「通じ合い」という訳語を使ったのだと思います。

入試問題で見た会話文も、ただ会話している人の言葉の表面的な意味をとらえても仕方ありません。会話の参加者の言葉の裏に潜んだ思い、考え、つまりは心をつかまないといけません。だから、先ほどの問3のような「立場」を考えましょう、という問題も作られるのです。

そして、もちろん社会でも、ただのことばのやりとりではなく、相手の心をわかり合う力が非常に重要です。これこそが「通じ合い」の力なのです。

今回は、「通じ合い」の大切さだけでお話が終わってしまいました。次回、家庭での「通じ合い」の力を育むことについてお話しましょう。