あたまを使う/国語 2018.6.15

なんば先生の国語教室【最終回】最後に伝えたい「ほんとうのことばのちから」

難波博孝
なんば先生の国語教室【最終回】最後に伝えたい「ほんとうのことばのちから」

こんにちは、難波です。いよいよこの連載も最終回となりました。
前回は、家庭における「携帯デバイス教育」について、私から提言をさせていただきました。

この連載で何度も申し上げたように、スマートフォンなどの携帯デバイスについては学校での教育は望めず、家庭で意識的な教育を行わなければなりません。といっても、決して難しいことではありません。「家族みんなが楽しむ」ということこそが、一番の「よりどころ」だとお考えいただければいいと思います。

全児童数13名の小学校がトップレベルの学力を誇る理由

私が20年近く関わっている、ある小さな小学校があります。広島県三原市立木原小学校という小学校です。全校児童わずか13名(2018年度現在)、完全複式の小学校です。

こんなに小さな小学校であるにもかかわらず、全国学力テスト(全国学力学習状況調査)や広島県のテストなど全てトップレベルです。そして学力のトップレベルの状況が20年近く続いているのです。
(※詳しくは難波博孝・木原小学校共著『楽しく論理力が育つ国語科授業づくり』明治図書 を参照してください)

この奇跡のような小学校はどうして生まれたのでしょうか。その理由はいくつもあります。地域が学校を支える素晴らしさ(太鼓踊りという行事が綿々と受け継がれています)や家庭が学校を支える意識の強さなど、挙げればキリがありませんが、ここでは学校での取り組みをお伝えします。

木原小学校は、完全複式です。一人の担任の先生が2つの学年を同時に受け持ちます。これだとふつうは学力が下がると思われがちです。ところが先ほども述べたように、木原小学校の学力は全国でもトップレベルなのです。

それができているひとつの要因は、「ほんとうの主体性」です。この学校では、授業は学習リーダーである児童が進めます。学習リーダーが指示を出し板書をします。時間も管理します。どの教科も、です。教師は後ろで見守ります(このやり方を見守り方支援といいます)。完全複式だからやらざるを得ない、そのことが、児童を大きく成長させているのです。

もうひとつの要因は「想像力」です。この小学校は一人だけの児童の学年がいくつもあります。2つの学年が同じ教室にいますが、その学年の授業は一人で授業を受けます。ところが、授業によっては同じ学年どうしの対話学習をすることがあります。さて、学年に一人しかいない児童は、一体どのような方法で対話学習をするのでしょうか?

どうやっているかというと、先生が子どもになるのです。そのとき、先生は自分の本名を使い、児童は先生に向かって(たとえば、原田先生なら)「原田君はどう思う?」なんて話をします。ときには人形がもうひとりの児童になることもあります。児童はその人形に話しかけ、その人形になって答えることもあります。先生が人形役をやることもあるようです。

これは、毎日の教室が想像力の世界のようなものです。つまり、教室が、ネバーエンディングストーリーのファンタージエンになっているようなものです。この教室で6年間過ごせば、想像力がつかないはずがないのです。

ほんとうの主体性」と現実世界を軽々超えていく「想像力」。そこに学校や地域、家庭とが下支えすることによって、木原小学校が何十年も奇跡を起こしているのだと思います。

「すきとおったほんとうのたべもの」に込められた願い

私は連載の第一回に、ことばの力とは、「ことばに思いを吹き込む力」「ことばから思いを汲み取る力」だとお話しました。そのために、「素直に人の言葉に耳を傾けること(聞くこと)」「通じ合い」「同じものを見ること(共同注視)」が大切だともお話してきました。これらに合わせて、今回は「ほんとうの主体性」そして「想像力」を付け加えたいと思います。

そして、これらすべてを満たしてくれるのが、文学であり、文学を読むこと、また、文学を聞くこと(読み聞かせや語り聞かせ)だと私は考えています。

宮沢賢治のことばに耳を傾けてみましょう。次の文章は「注文の多い料理店」や「どんぐりと山猫」が収められている、宮沢賢治作『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の序、その後半です。

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

(引用:青空文庫|『注文の多い料理店』序

文学は、「あなたのためになる」かもしれませんし、「わけのわからないところ」もあるかもしれません。けれど、賢治がこの童話短編集に込めた願い、「あなたのすきとおったほんとうのたべもの」になってほしいという願いを、私たちは受け止めることができます。あるいは、あなたの声で、そのことを子どもたちに伝えることができるのです。

私たち大人は、子どもたちに「すきとおったほんとうのたべもの」を渡し継いでいく責任があります。そして、それは決して難しいことではありません。

あなたの声で、文学を語ること、文学の話をすること、同じ経験をしそのことについて語り合うこと、です。
そのとき子どもたちは、ほんとうの主体となって、現実を超え想像の世界に飛び出していきます。その経験が、子どもたちに、きっとことばの力を培っていくでしょう。

大学入試が大きく変わります。しかし私たちには宮沢賢治がついています。何も心配いりません。

さあ今日も、楽しい本を子ども達と一緒に読んでいきましょう!

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今回で連載「なんば先生の国語教室」は最終回です。ことばの力とは何か、子どもたちがことばの力を身につけるために、私たち大人は何ができるのか、なんば先生から学んだことを忘れないでください。これから待ち受ける子どもたちの未来は、私たち大人が経験したことがないような複雑さを増していくでしょう。しかし、「ことばの力」を信じて前に進める強さがあれば、可能性は無限に広がっていくはずです。